「発達障害」や「知的障害」と診断はされていないけれど、学校での学習や生活に困りごとを抱えている子どもたちがいます。「境界知能」や「グレーゾーン」ともよばれることがあるこれらの子どもたちに対して、いったいどのような支援が必要なのでしょうか。『ケーキの切れない非行少年たち』の著者で児童精神科医でもある、立命館大学・宮口幸治(みやぐち・こうじ)先生は、こうした子どもたちを救えるのは学校しかないと語ります。学習や生活に困りごとを抱える子どもたちのために学校が果たすべき役割を、前後編で伺いました。

見過ごされてしまう子どもたち

子どもたちの中には、「発達障害」や「知的障害」と診断はされていないが、やる気がなかったり、不適切な行動を起こしてしまったりする子どもたちがいます。このような子どもたちの背景には、どのようなことが考えられるのでしょうか?

「勉強が苦手」「やる気が出ない」といった子どもたちの中には、IQ70未満の知的障害には該当しないものの、IQ70~84で何らかの支援が必要とされる「境界知能」や、はっきりとした原因はわかりにくいけれど、何かしらの課題を抱える「グレーゾーン」に位置付けられる子どもたちがいます。


こうした子どもたちは、本来、一定の支援が必要であるにもかかわらず、教育現場や家庭で見過ごされがちで、「しんどさ」を抱えながら生活していることが少なくありません。


なぜ、「しんどさ」を抱えているにもかかわらず、適切な支援がなされていないのでしょうか。

境界知能やグレーゾーンとよばれる子どもたちは、「発達障害」や「知的障害」というはっきりとした診断があるわけではありません。そのため、問題や課題が周囲に気づかれにくい、または、気づかれたとしても、本人のやる気のなさや努力不足、としてとらえられてしまうことが多いです。


例えば、この境界知能に該当する人は、定義上全人口の約14%います。つまり、1クラスの人数が35人の場合、約5人が境界知能に該当するという計算になります。境界知能の子どもだけでも、これだけの子どもたちが、何らかの支援を必要としているにもかかわらず、現在は診断がないために特別な支援の対象とはなっていません。


ちなみに、「IQ70未満」という知的障害の定義は1970年代以降のものです。1950年代の一時期は知的障害は「IQ85未満」とされていました。しかし、IQ85未満では知的障害のある人が全人口の16%もいることになり、これでは人数が多すぎて支援が追いつかないということで、知的障害の定義がIQ70未満に引き下げられたという経緯があります。しかし、定義は変わろうとも、IQ70〜84の人たちが知的障害のある人と同様の、もしくはそれに近い「しんどさ」を抱えているのはまぎれもない事実です


子どもたちは、具体的にどのような「しんどさ」を感じているのでしょうか。

境界知能の子どもたちは同じ年齢の子どもの8割程度の知能と考えられています。それは、小学校高学年のクラスに中学年の子どもが混ざっているようなイメージです。ですので、境界知能の子どもたちにとっては、通常の授業自体がハードルが高いといえます。


また、境界知能の子どもたちの多くは、見る力や聞く力、見えないものを想像する力、といった認知機能(五感を通して得られた情報を整理して、様々な結果を作り出していく機能)に弱さを抱えていることが多いです


「見る力」が弱いと、文字や行の読み飛ばしが多かったり、漢字が覚えられなかったり、板書が写せなかったりといった困りごとが生じます。「聞く力」が弱ければ、例えば学校で先生が「算数の教科書の38ページを開いて5番の問題をやりましょう」と指示しても、その内容が聞き取れずに、周りをきょろきょろしたり、ぼーっとしたりしてしまいます。そのため、周りの目には不真面目に映ってしまうことも多いです。


こうした学習面での課題に加えて、認知機能の弱い子どもには、感情や行動のコントロールがうまくいかないといった「社会面での課題」や、運動や手先の不器用さといった「身体面での課題」が挙げられます。


このように、境界知能やグレーゾーンの子どもたちの課題は、本人のやる気や努力の問題ではなく、能力的な問題であるといえます。にもかかわらず、知的障害とは診断されないので、特別な支援が受けられていないという現状があります。




子どもの困っているサインを見逃さない

しんどさに気づかれず、努力しても勉強についていけないとなると、本人のやる気も失われ、周囲からも誤解され、さらにしんどさが増していきそうです。

境界知能やグレーゾーンの子どもたちは、勉強や運動、コミュニケーションなどに苦手意識があることが多いです。そのことが原因で、自信をなくして被害的な意識を持つようになったり、思うようにできないイライラから怒ったり暴れたりといった不適切な行動を起こすことにつながったりすることもあります。


そして、そうした行動が周囲の偏見や誤解を生んでしまい、周りに理解されないさみしさや孤独から、場合によっては非行に走ったり、犯罪に手を染めてしまったりする子どもたちも少なからずいます。


このような事態になって苦しむ前に、周囲の大人が子どもたちのしんどさに気づき、適切な支援をすることが非常に大切なのです


周囲の大人たちは、どうすれば、子どものしんどさに気づくことができるでしょうか。

学習面でのつまずきは、子どもたちのしんどさに気づくポイントの一つです。例えば境界知能の子どもであれば、小学校2年生くらいから徐々に周囲との差が生じ始めることが多いです。そして、学習内容が抽象的になり論理的思考が求められる小学校4年生くらいになると、「勉強が全くわからない」「ついていけなくてしんどい」ということが目立ち始めます。


また、学習面以外でも、子どもたちは様々なサインを大人に対して発信し続けています。しかしそのサインは、わかりにくいことが多く、単に「わがまま」「やる気がない」「不真面目」としてとらえられてしまいがちです。そのようなしんどさを抱える子どもたちの「小さなサイン」を見逃さず、気づくことが学校や教師の役割だと思います

<しんどさを抱える子どもたちのよくあるサイン>

  • キレやすい
  • あきらめやすい
  • お腹が痛くなる
  • 嘘をつく
  • 忘れ物が多い  など

■子どものサインは氷山の一角にすぎない

しんどさのサインに気づき、その原因はどこにあるのかを判断するスキルが学校や教師に求められるということでしょうか。

子どもたちのサインに気づき、その行動の背景に何があるのかを探ることは、子どもたちの支援には重要ですが、現実的には教師だけの力で探り当てるというのはハードルが高いといえるでしょう。


そもそも多くの先生が教師になる際に、知的障害などの知識を専門的に学んでいるわけではありません。特別支援学級の担任も、必ずしも専門の資格を持っているわけではありませんから。子どもたちを支援する教師の知識が圧倒的に不足している──。これは先生方個人の努力の問題というより、制度的な問題といえるでしょう。


さらに問題を難しくしているのは、子どもの出すサインは氷山の一角にすぎないということです。目の前に見えているサインから、その根本的な原因がどこにあるのかを見つけるのは、専門的な知識を持った人でも、難しいのです。

学校以外の場所で子どもたちのサインや、その行動の背景にある問題に気づくことはできないのでしょうか。

家庭でも、きょうだいがいると比較できるので何らかの違和感をキャッチしやすいのですが、そうでない場合は気づくのは相当難しいでしょうね。「なんだかわからないけれど子どもがしんどそうだ」と悩む保護者は多くいます。


子どもの困りごとの背景にどんな問題があるのかをすぐに見極めることは確かに難しいのですが、困っている子どもに気づき、寄り添って支えていくことができるのは、学校や教師にしかできないことなのではないかと思います


学習面の問題、社会面の問題、身体面の問題……。どのような問題に子どもが困っているのかに気づくことが、適切な支援を届けるための第一歩です。



»後編では、様々なしんどさを抱えた子どもを救えるのは学校しかないという理由と、そのために具体的にできることについて伺いました。

(取材・文 工藤千秋)

宮口幸治先生インタビュー 後編はこちら

宮口幸治先生プロフィール

立命館大学産業社会学部・大学院人間科学研究科教授。京都大学工学部を卒業し建設コンサルタント会社に勤務後、神戸大学医学部を卒業。児童精神科医として精神科病院や医療少年院に勤務し、2016年より現職。医学博士、臨床心理士。一般社団法人日本COG-TR学会代表理事。著書に『ケーキの切れない非行少年たち』(新潮社、2019年)『どうしても頑張れない人たち-ケーキの切れない非行少年たち2-』(新潮社、2021年)などがある。