現在ドローンパイロットとして活躍されている髙梨智樹(たかなし・ともき)さんには、識字障害(読み書き障害/ディスレクシア)という発達障害があります。文字が読めない・書けないのは自分の努力不足なのだとご自分を責めた時期もあったそうです。そんな髙梨さんが学校生活で感じていた困難さや、「障害を感じなくなった」という現在に至るまでの軌跡を伺いました。

形だけ開いていた教科書とノート

髙梨さんがどのように学校生活を過ごされていたか教えてください。小学校時代はどうでしたか?

識字障害は「読めるけど、書けない」「読めないけど、書ける」など、「読む・書く」のどちらか一方に困難さがある人も多いそうですが、僕の場合は読む・書く両方に困難さがあります。例えばひとつの文章を読もうとしたときに、いつのまにか隣の行にずれてしまって、内容がわからなくなります。ひらがなはなんとか読めるけれど、カタカナや漢字は難しいです。文字を書き写すことは時間をかければできますが、何も見ないで書くことはできません。 僕には周期性嘔吐症という持病もあります。日常生活の中で急に吐き気が起きて嘔吐してしまう病気です。そのため小学校にはほとんど行けていませんでした。中学生になって識字障害の診断を受けるまで、病気のせいで勉強が遅れていて、自分の努力が足りないから漢字が読めない、カタカナも書けないのだと思っていました

学校生活の中で困ったのは、具体的にどのようなことですか。

学校の授業は基本的に、座って教科書・ノートを開いて、黒板に書いてあることを見る、それを写す、先生の言ったことを聞いてメモを取るということだと思うのですが、僕は聞くこと以外はできません。だから形だけは教科書・ノートを開いていましたが、黒板に書いてあることも、教科書に書いてあることもわかりませんでした。ノートはいつも真っ白という状態で、先生の話を聞いていました。先生の話している内容は全部理解できていましたが、教科書のどの部分をやっているのかもわかりません。テストでは問題も読めないから理解できないし、書けませんでした。

一番つらかったことは、「人の目」

国語の音読の時間がつらかったですね。教科書が読めないので、そもそもみんなが今どこを読んでいるかもわからない。自分が読む番になっても、読み始めてつまっていると、見かねた先生が次の人に読むように言います。そういうときの悔しさ、恥ずかしさがすごくありました。何が一番つらかったかというと、人の目だと思います。人と自分を比べて、全くノートが取れていないとか、プリントが白紙だったとかいうのはすごくつらかったです。

教師の働きかけや言葉がけで助けられたことはありますか?

小学校5年生のときの先生は、いろいろな工夫をしてくれて、例えば文章の読まない部分の文字を隠して、読む一文だけを見えるようにすると読みやすくなることを見つけてくれました。プリントの問題を先生が読んで、それに僕が口頭で答えて、先生がそれを記入するということもやってくれました。「自分のペースでいいよ、無理しないでいい。」と言われたのはうれしかったですね。それから、その先生は僕に宿題を出さなかったのです。学校だけでいいよ、と言われたのは気持ち的に楽でした。ただ、先生に教科書やプリントなどを読んでもらったり、代わりに書いてもらったりというのはクラスメイトの目があり、断ってしまいました。自分の困難さにとってはプラスだったけれど、周りの目が気になって、できなかったのです

今なら当時の自分に、周りの目なんか気にしてもしょうがないよと言いたいけれど、そのときはなかなかそういうふうには考えられなかったのです。人目をすごく気にしていたので、できなくても周りの友だちと同じような雰囲気にするよう気を付けていたのですが、中学から特別支援学校で学ぶようになったことで、その考え方が結構変わりました。

ICT活用と人との出会いが考えを変える転機に

特別支援学校ではどのような工夫をされていたのでしょう。

はじめは小学校と同様、紙の教科書とノートを使っていたのですが、僕はパソコンが得意だったので、担任の先生からパソコンを使って授業を受けてはどうかと提案がありました。自分に合った工夫を模索する中で、授業中に使用するプリントは、先生が作ったWordのファイルにそのまま打ち込んだり、タイピングでメモを取ったりすると、楽でいいということがわかってきました。また、小学生の頃から家ではパソコンの読み上げ機能を使っていたのですが、それを学校の授業でも使わせてもらえるようになったのは、自分にとって進化でした。識字障害の診断を受けて高校に入ってからは、デジタル教科書を使ったり、スマートフォンを活用したりして工夫をしていきました。スマートフォンの発達で、紙の情報でも写真に撮ってデータ化できるようになりましたし、黒板に書いてある図形を写真に撮って切り取り、Wordのファイルに貼りつけてノート代わりに提出するということもできるようになりました。障害の重さが時代の変化とともに軽減されていったのです

ICTを上手に使って自分に合った工夫をされていったのですね。

特別支援学校にはいろいろな生徒がいました。片腕がない子や、長時間の授業が受けられない子……、自分だけ違うわけではなくて、人それぞれ違うということがそこでは明らかでした。そしてそれに対して誰も文句も言わないし、言われない。それでいいのだと思いました。その経験があったから、のちに定時制高校の 30人のクラスに行くようになっても、自分は自分だからと思えるようになりました。

特別支援学校での授業や人との出会いがひとつの転機になったのですね。

高校1年生の夏に参加した、東京大学先端科学技術研究センター主催の「DO-IT Japan」(障害のある児童生徒や学生の進学と就労移行支援、次世代のリーダー養成を目的とするプロジェクト)との出会いも考え方が変わる機会になりました。そこでは、「迷惑をかけない」と思うことは禁止と言われていました。例えば、ホテルに宿泊するときチェックインで名前を書きますよね。そういうとき、僕は代筆を頼んだら相手に悪いかな、と勝手に思っていたのです。だけど実際は頼めばやってもらえます。「DO-IT Japan」では 相手からどんな支援が必要か聞かれるのを待っているのではなく、自分はどんなことができて、何ができないのか、どういう支援を必要としているのかを自分から伝えるということを教えてもらいました。また、自分ができないことに関して、紙に書いてメモすることができなくても、スマートフォンで画像を撮ることはできるよね、録音してもいいよね、というふうに、「楽な方を使ったらいいのだ」という考え方のヒントをもらったと思っています

(取材・文 雨野千晴)

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髙梨智樹さんプロフィール

1998年神奈川県生まれ。小学校の頃から読み書きに遅れが生じ、中学生で識字障害と診断を受ける。父親のすすめで小学生時代にラジコンヘリコプターを始める。中学生のときに見た無人飛行機ドローンで撮影された映像に衝撃を受け、ドローンの世界にのめり込む。2016年ドローンレース国内大会で優勝。その後ドバイ世界大会や韓国世界大会にも出場。18歳で父親とともにドローン操縦・空撮会社「スカイジョブ」を設立。空撮機からレース機、産業用の機体まで様々なドローンを使いこなす他、レースへの参加や講演活動、災害時の情報収集活動への協力など多岐に渡り活躍している。夢は、ドクターヘリのパイロット。著書に『文字の読めないパイロット』(イーストプレス、2020年)がある。