インフルエンサー、会社経営者、タレントとして活躍している難聴うさぎ(なんちょう・うさぎ)さんは、先天性の聴覚障害があります。常に好奇心旺盛で天真爛漫な彼女の「耳が聞こえなくても、夢をあきらめない」「やりたいことは、何でもチャレンジする」という生き方は多くの共感を呼び、今やSNSの総フォロワー数が60万人以上にも上っています。そんな彼女ですが、子どもの頃には不自由さや生きにくさを感じたことも多くあったといいます。それらをどのようにして乗り越えてきたのでしょうか。通常の学級や通級による指導、通っていたろう学校のエピソードを交えて語っていただきました。

SNSという拡散力のあるメディアで、聴覚障害のことを多くの人に伝えたい

インフルエンサーとして活躍されている難聴うさぎさんですが、どのようなメディアで情報を配信しているのか教えてください。

現在、私が使っているSNSは、YouTube、TikTok、Instagram、X(Twitter)の4つです。なかでも動画メディアの反響が大きく、TikTokでよく配信している「ダンス動画」にはたくさんの「いいね」が付いています。ほかに、さまざまな障害のある人との「コラボ動画」も好評です。コラボをしていただいている方は、聴覚障害だけでなく、ダウン症候群、骨形成不全症など、さまざまな障害のある人たちです。一緒に障害について語り合ったり、散歩や小旅行に出かけたりなど、和気あいあいと会話する私たちの姿を動画に収めて配信しています

SNSで発信するようになった経緯を教えてください。

2018年に、そのとき流行っていたTikTokに友人と踊っている動画をアップしたのが最初です。スタート当時は難聴だということを公表していなかったのですが、あるとき思い付きで、ハッシュタグに「難聴」と入力してみました。すると、「耳が聞こえないのに踊れるなんて、すごい」という応援コメントをいただき、同時に記事がまたたく間に拡散されました。いわゆる"バズる"という現象です。フォロワー数も1万5000人、2万人と伸び、こうした反響に私はやりがいを感じて「バズるためには誰かの真似ではなく、人と違うことをしなければ」と思うようになりました。このときに気づいたのが、「私は、聴覚障害というユニークな特性を持っている。これが私の個性だ」ということでした

補聴器を付け、読唇術で言葉を把握しながら、人とコミュニケーションを取る

難聴うさぎさんの聴覚障害について教えてください。

私は「先天性の感音性難聴・聴覚障害3級」という診断を受けていて、2~3歳の頃から現在に至るまで補聴器を付けて生活しています。補聴器を付けると音は聞こえますが、とても"ひずんで"聞こえるのです。また、聞きたい音と周囲の音が一気に「雑音」のような形で耳に入ってくるので、聞きたいことを選べない感覚もあります。ですから、人とコミュニケーションを取るときは、話し相手の口の動きを見ながら言葉を把握する「読唇術」も使っています。なので、話すときには口の動きがよく見えるように、正面から話してもらうようにしています。
危険があることを知らせるときなどは、「危ないよ!」と後ろから呼びかけられても分からないので、身振り手振りや光で知らせるなど、声以外の方法でも教えてもらうと助かりますね。
また、私は発音やイントネーションも完璧ではありません。ろう学校や通級指導教室では、口の動かし方や舌の使い方などを教えてもらいました。今でも「イントネーションが違うよ」などと指摘を受けることもありますが、教えてもらえたことに感謝し、その度に正しい言い方を確認して修正するようにしています。

みんなで遊びたいのに、言葉が理解できない。ジレンマを抱え、少人数で話すように

幼少の頃、ご自身の障害についてどのように感じ、どのように向き合っていましたか。

「どうして自分だけ、人と違うんだろう」と思っていました。しかし、前向きな性格の母から「あなたなら何もできるよ」と言われながら育ったこともあり、小さい頃から好奇心旺盛で天真爛漫な性格でした。幼稚園では、友達とたくさんおしゃべりをしていましたが、周りが何を話しているのかすべては理解できないので、口の動きを必死に読み取って真似していましたね。「おそらくこう言ったのだろう」と予測し発言することもあり、話が噛み合わなかったこともあったと思います。しかし、そのことを引け目に思うことはなく、自分なりに一生懸命コミュニケーションを取っていました。
また、家ではよくピアノを弾いていました。多くの人は「耳が聞こえないのに、ピアノが弾けるわけがない」と考えるかもしれませんが、母は「聞こえなくても、楽譜が読めればピアノが弾けるようになるよ」と言ってくれたのです。音程は今でも分かりませんが、楽譜があれば弾くことができます。

小学校以降の学校生活のなかで「生きにくさ」を感じることはありましたか?

小学校、中学校、高校は通常の学級で勉強していました。授業にも特に困ることなくついていけていました。疑問があれば直接先生に聞きに行っていましたし、自宅でも通信教育の教材で勉強していたことも大きかったと思います。週に1回、通級による指導に参加していたのですが、そこでの学習は、私にとっては学習面や生活面における困難の改善というよりは、先生と一緒に遊ぶのが目的だったように感じています。
一方で、学校生活の端々で、耳が聞こえない自分の生きにくさを感じることが増えてきました。例えば、授業中はいつも「いつ自分の名前が呼ばれるんだろう」と、ハラハラしっぱなしでした。また、難聴である私は、常に一番前の座席でした。今思えば本当にありがたい配慮なのですが、当時の私は「いつも同じ席だとつまらない」「席替えという楽しみを奪われた」と感じてしまっていたのです。座席については、「私の希望を聞いてほしい」というのが、当時の私の本音です。
あと、歌うことが大好きだったのに、「自分の歌声」に自信が持てなくなったのもショックでした。小学校の音楽の授業で、合唱を練習しているときにクラスメイトが明らかに私に向けて何か言いたげな視線を送ってくることに気付いたのです。「たぶん私が変な音程で歌っているんだろうな」と想像は付いたものの、みんなの視線にとても傷つきました。それをきっかけに合唱で歌うことは避け、代わりに得意なピアノ伴奏を担当するようになりました。
中学時代で印象に残っているのは、英検のリスニングテストです。通常の試験方法では聞き取ることができないので、英語の先生が日本英語検定協会に交渉してくれて、試験官の口の動きを見ながら解答することになったのですが、実際に受験してみると英語の読唇術はとても難しく、結果は散々でした。「英語のテロップがあったらきちんと解答できたのに」と悔しい思いをしたのを覚えています

障害のある人を支える教師や大人に対して、アドバイスやメッセージがあればお聞かせください。

子どもたちには、いろいろな経験をさせてあげてほしいです。今の時代、やりたいことがなかなか見つけられない子どもが増えていると聞きます。できることを教えてあげることも大人の大事な役割だとは思いますが、やりたいことを一緒に探してあげられることも大切なのではないかと感じています。例えば、一緒にゲームをするのでも、テレビを見るのでも、何でもいいんです。
私も、通級指導教室の先生と一緒にバドミントンで遊んだことや、ワッフルやクレープを作ったことが、とても印象に残っています。そのときは、ただただ楽しいと感じていましたが、このように何気ない日常のなかで何の制約も受けず、先生たちと自由にコミュニケーションを取れたことで、私の自由な心は大きく育ったのだと思います
どんな小さなことでも、一緒に同じことを体験することが大事です。嬉しかったことやうまくいったことを共有できると、子どもの自信や喜びにつながります。あくまで、子どもと同じ目線で、押しつけにならないように。そして、他の子どもと比べたりせず、やりたいことを否定しないで自由にのびのびと。子どもに寄り添いながら、その子の良いところを見つけて伸ばしてあげてほしいと思います。

(取材・文:秋山 由香(Playce)・佐藤 理子(Playce))
(撮影:厚地 健太郎)
※このページに書いてある内容は取材日(2023年12月07日)時点のものです。

»後編では、先生や友達とのコミュニケーションや、自分のことを発信するきっかけとなったエピソード、さまざまな活動を通して伝えたいメッセージについて伺いました。

難聴うさぎさんインタビュー 後編はこちら


難聴うさぎさんの仕事についてもっと知りたい人はこちら

>>EduTownあしたね「難聴うさぎ」

難聴うさぎさんプロフィール

先天性の感音性難聴・聴覚障害3級。生まれつき耳が聞こえず、コミュニケーションは補聴器から伝わる振動と読唇術にて行う。中学3年生のときに自分の障害と向き合った作文が、人権作文コンテストの島根県大会最優秀賞に選ばれ、全国審査で法務省人権擁護局長賞を受賞。住宅メーカーや手話ラウンジでの勤務を経験し、現在は耳についての発信をYouTubeやTikTokなどで行うインフルエンサーに。SNS総フォロワー数は60万人以上(2023年12月現在)。さまざまな障害のある人とも協力し、障害のことを世の中に伝える活動を行っており、講演会の依頼も受付中。著書に『音のない世界でコミュ力を磨く』(KADOKAWA、2023年)がある。